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精神疾患パイロットがなぜ操縦可能なのか

ドイツ機墜落事故で明らかになった、コストカット主義の“隠れたコスト”

2015/4/5
Weekly Briefingでは毎日、ビジネス・経済、メディア・コンテンツ、ワークスタイル、デザイン、スポーツ、中国・アジアなど分野別に、この1週間の注目ニュースをピックアップ。Weekly Briefing(ワールド編)では、世界で話題になっているこの1週間の読むべきニュースを各国のメディアからピックアップします。

3月24日、欧州人は、自分たちの身近で起きた悲劇に震え上がった。

ドイツを代表する航空会社ルフトハンザ傘下の格安航空会社(LCC)であるジャーマンウイングスの9525便が巡航高度から急降下、Andreas Lubitz(アンドレアス・ルビッツ)副操縦士の“意図的な操作”でフランス南部にあるアルプス山脈に墜落した。

この事故により、乗客乗員150人全員が死亡した。

あれから一週間──。ジャーマンウイングスの9525便の最後の瞬間の詳細が明らかになっている。

ドイツの大手メディア「Bild」によると、ルビッツ副操縦士にはうつ病歴があった。その症例は、2000年代後半、パイロット訓練から半年間も長期休暇を取らざるを得ないほど深刻だった。その後、職場復帰した際には、ルフトハンザ航空(ジャーマンウイングスの親会社)で勤務を続けることが可能かについての素行調査に加えて、パイロット認証に必要な一連の心理検査も受けている。

しかしパイロットは研修後、心理検査を受けることが法律上、義務付けられてはいない。ルビッツにとって、2000年代後半に受けたこの心理検査が最後だった可能性が高い。

もし、心理検査が義務化されており、頻度が高ければ、今回の惨事を防げたのではないか、と思わざるを得ない。特に、ジャーマンウイングスを含めたLCCは、パイロットの心理的健康に配慮しているとはいえない。

LCCクルーが感じる“恐怖”

飛行機を利用したことがある人なら、誰しもがフライトに恐怖を感じた経験があるはずだ。しかし近年では、CAやパイロットなどのクルーは“別の恐怖”に怯えている。

航空業界がコスト戦争を繰り返すなか、人員削減が横行し、従業員の業務量が増加する一方で、クルーたちの有給休暇や年収は減っているのだ。しかもクルーたちは、数億円の機体とそれに乗る数百人の人命に対しての責任を常に負っている。そのプレッシャーは計り知れない。

特にここ数年、LCCのパイロットのストレスがこれまで以上に高まっていると推察される。その背景には、LCCのビジネスモデルがある。

LCCのビジネスモデルは、シンプルだ。無慈悲なまでに運営コストの削減し、安価な運賃を提供する。大半のコストカットは、“クルー”が担う。人件費の抑制が最も手っ取り早いコストカットだからだ。

通常の航空会社より給与が圧倒的に低いうえ、福利厚生も手薄。なおかつ、着陸後、徹底した効率により、いち早く次の便の搭乗客の受け入れをしなくてはいけない。

LCCのパイロットをすることは、人間の体と心にどのような影響を与えるのか、確たる科学的な証拠はまだないが、2006年に行われた英国のオックスフォード大学の研究によると、短距離飛行のパイロットは、極度の疲労を感じるケースが多いという。なぜなら、着陸から次の離陸までの間が短い場合が多く、連続勤務を求められる場合が多いからだ。その疲労が、仕事の成果に影響し、精神疾患を誘発することは言うまでもない。

LCCが人材募集に困らない理由

ここで、一つ疑問が沸く。ただでさえストレスフルな航空業界の中で、最もストレスが多いLCCで働く理由は何か、だ。

その理由は単純だ。

欧米では、パイロットとして航空会社で勤めるのには、最低1500時間の飛行経験が求められる。日本の航空会社の場合、この飛行訓練のコストは会社負担だが、欧米の場合は自腹。しかも、研修プログラムの授業料は高額だ。例えばドイツでは平均7万ユーロ(約910万円)、アメリカでは20万ドル(約2390万円)を超えるケースも少なくない。

こうした研修を経て、晴れてパイロットになった後も、給料や待遇はいいとはいえない。

例えば、欧州のパイロット労働組合によると、アイルランドのLCC「Ryanair(ライアンエアー)」の初任給は、キャリアにより個人差があるものの、年収にして2万4000ユーロ(約312万円)とかなり低い。

新卒の年収が300万円なら、そう悪くはないと思う読者は多いかもしれない。しかし、ほかの職業に比べると、その低さが感じられるだろう。OECDのデータよると、欧州の小学校教師の新卒平均年収は、ドイツの場合、4万5900ユーロ(約597万円)だ。ちなみに、日本の厚生労働省が毎年調査している「平成26年賃金構造基本統計調査」によると、航空機操縦士(男)の初任給は(勤続年数ゼロ年、所定内給与額)は25万2000円である。

この低収入でも、若者がLCCに就職するのは、欧米の若者が直面するシビアな“就活”の現実があるからだ。

若者の多くは、大学の学費ローンを組み、自腹で払うのが一般的だが、卒業後、就職しないことにはこのローンの返済ができない。そのため、何が何でも就職を希望する。LCCは経験がない若者でも比較的就職しやすいからこそ、若いパイロットはLCCの門戸をたたく場合が多いのだ。

そうした若いパイロットの“希望”を搾取する“ブラックLCC””として悪名高いが、先の「Ryanair」や「Norwegian Air Shuttle(ノルウィージェン・エア・シャトル)」などだ。

先月、「Bloomberg」は、「LCCは、最低の年収とパイロットにとって最も“relaxed(ゆるい)“労働ルールを採用している」と報道。“ゆるい”といっても、優しいという意味ではなく、ルールが甘く、パイロットにとって過酷だという意味だ。例えば、最終便の運行を終えた後、わずか5時間後のフライトの操縦をさせるスケジュールが組まれる。この過酷な労働環境下では、当然、“安全”への甚大な見落としを引き起こしても、不思議ではない。

つまり、LCCは人件費をできるだけ抑えることで、業界全体を“race to the bottom”(底辺への競争)に追い込んでいると言っていいだろう。

なぜ、うつ病パイロットでも心理テストにパスできるのか?

現状を改善するためにも、パイロットに対し心理的な安全基準を設定し、業界の健全化を図ることが焦眉の急だ。しかしながら、国際連合経済社会理事会の専門機関である国際民間航空機関(ICAO)は、定期的な心理検査は必要ない、効果がないとして具体的な対応策を講じようとしない。

ICAOのManual of Civil Aviation Medicine(民間航空医学マニュアル)はパイロットが心理テストを行うことについて、こう語っている。

「心理テストだけで、パイロットのキャンディデイト(応募者)がこの仕事に向いているのか、精神障害があるかどうかを判断するのは、スクリーニング手段といて信頼性に欠ける」

つまり、ICAOが世界共通のパイロットの心理テスト基準を作成していないがために、飛行訓練後のパイロットを本採用するかどうかの基準は各国の航空行政任せとなっているのだ。

ドイツや米国を含む多くの国は、パイロットに正式な精神鑑定を受けることを命じてさえない。定期的な健康診断に一括しているだけだが、この基準は明らかに“ゆるすぎる”と言える。

例えば、米国のアメリカ連邦航空局(FAA)が行っている健康診断のガイドラインには、以下のような文言が記載されている。

「FAAは、医師に正式な精神鑑定を行うことを期待していない。しかし、医師が、パイロットの情緒の安定と心理状況について問題がないかの印象を診断することは義務だ」

医者があるパイロットに対し「何か違う」と感じたら、正式な精神鑑定を受けるように指示をする。パイロットはその心理テストで不合格になると、停職などの処分を受ける場合もある。だからこそ、ジャーマンウイングスのルビッツをはじめとするうつ病傾向のあるパイロットは、失業を恐れるあまり、心理テストでうそをつきがちになるし、治療を進めようとしない。

言うまでもなく、多くの人命を預かるパイロットは最も厳格かつ定期的に心理テストを受ける必要がある仕事の一つである。そして、そのテストは、通常の医師ではなく専門家たる精神科医が行うべきだ。また、パイロットが心理テストで不合格になった場合には、適切な治療を受けさせるなどして、復職の糸口を探る手助けなどもすべきだろう。

もっと精巧な心理スクリーニングテストがあったとしても、今回のルビッツの“凶行”を防げたとは言い切れない。しかし、より高度な心理テストがあったならば、航空会社や航空行政はパイロットの現状をより正確に把握し、職場環境を向上させるヒントを得られていたのではないだろうか。