第1回
シリコンバレーに「お〜いお茶」ブームを作った男
2014/10/8
シリコンバレーとお茶の関係
「シリコンバレーにいる日本人」と聞いて、あなたは誰を想像するだろう? 野心あふれる起業家? スーパーエンジニア? IT企業のエース社員?……
そうした想像は、間違ってはいない。
ただ、日本からシリコンバレーに行くのは、決して起業家志望やエンジニアだけではない。営業マンとしてシリコンバレーに乗り込み、「日本ブランド」を売り込んだ男がいる。
飲料メーカー・株式会社伊藤園の角野賢一氏、36歳だ。
彼がシリコンバレーに残した足跡を一言で言えば、「シリコンバレーに、『お~いお茶』ブームを作った」ということになる。
「お~いお茶」と言えば、世界初の「缶入り煎茶」を前身に、日本を代表する緑茶飲料のトップブランドだ。その「お~いお茶」が、いまシリコンバレーで大人気であることを、どれくらいの人が知っているだろうか?
ここで言うブームとは、「サンフランシスコのスーパーの棚」だけで起きているわけではない。むしろ、ブームの中心は、「シリコンバレーを代表するIT企業の冷蔵庫」であると言うべきだろう。
おそらく、シリコンバレーで最も有名な「お~いお茶」ファンは、Evernote社CEOのフィル・リービン氏だ。
彼は、「お〜いお茶」について、こう語る。
「私自身、毎日4~5本飲んでいるし、だいたい50人ほどの社員が、それくらいの量を飲んでいると思う。オフィス全体での消費量は1日にだいたい200本くらい。とにかく多いよ」(出典:ITmedia)
他にも、Google、Facebook、Twitter……名だたる企業の本社冷蔵庫内に、「お~いお茶」が収められている。世界をリードするエンジニアのコンピュータの隣に、「お~いお茶」が置かれているのだ。
実際、角野氏がサンフランシスコに赴任してから、現地の「お~いお茶」の導入企業は劇的に増加した。
人事に言われた「足跡」を残すことの意味
角野氏は、2002年、新卒で伊藤園に入社した。入社後は、港支店でルート営業を担当。2006年に、その年から始まった北米への研修制度に手を挙げ参加し、1年間、ニューヨークのマンハッタンで、飛び込み営業を重ねる。帰国後は、国際部・経営企画部といった部署を経験した。
転機が訪れたのは、2009年。ITO EN(North America)INC.から誘いがかかった。
「西海岸の営業を強化したい」
一度、研修生としてアメリカでの営業を経験していたこともあり、サンフランシスコ地域の営業担当就任が決まった。
渡米直前、人事のトップからこう言われたという。
「角野くん、君がサンフランシスコに行って、いきなり売上が2倍、3倍になるとは思っていないし、そもそも期待もしていない。君が行ったという、『足跡』を残してきてほしい。5年後、10年後、『これは角野がやったんだ』と言われるような仕事をしてきてほしい」
その時は、「正直、あまりピントと来なかった」と、角野氏は話す。ただ、その後の5年間、営業活動を続け、「その意味が分かった」と振り返る。
「後から考えれば、求められていたのは、売上ではなくブランディングだった気がします。伊藤園の、『お~いお茶』というブランドがサンフランシスコの地に定着する基盤を作ってきてほしい。そういう意味だったように思います」
現地では無名の日本ブランドを、一人前のブランドにすること。自分がいなくなった後も、売れ続ける何かを残すこと。これを自分のミッションとして、5年間、ITの最先端で営業活動に取り組みつづけた。
そして今年2014年5月、後任に後を託し、5年にわたる赴任を終えて帰国した。角野氏は、5年間のシリコンバレー生活をこう振り返る。
「正直、50、60%の出来でした。もっとやれることはあった」
しかし、同時にこうも付け加えた。
「ただ、シリコンバレーという地域に、『お〜いお茶』というブランドを根付かせることはできたと思っています。30代前半を、シリコンバレーという最高の場所で過ごすことができました」
新しいお茶のマーケティング「茶ッカソン」
彼が残した功績のひとつに、「茶ッカソン」がある。「茶ッカソン」とは、お茶を楽しみながらアイデアを形にする「お茶×ハッカソン」の造語だ。聞いたところ、「アイデアを『着火』する」という意味も込められているとのこと。
今年2014年5月3日、シリコンバレーで第1回茶ッカソンが開催された。そして、去る10月5日には、東京で第1回茶ッカソンが開催された。日本を代表する「お茶」の、新しいマーケティングの形を模索中だ。
この連載では、そんな角野氏の5年間にわたるシリコンバレーにおける営業の足跡を辿っていく。そこで紹介したいテーマは大きく2つある。
ひとつは、日本製品の海外における営業・マーケティングだ。『お~いお茶』という、日本を代表するブランド・製品カテゴリーを、いかにしてシリコンバレーに売り込んだのか、そのチャレンジのストーリーを届けていく。
もうひとつは、シリコンバレー独自の文化だ。角野氏自身も、「シリコンバレー流のおもてなし」に、時に助けられ、時に乗っかることで、エンジニアを始めとするシリコンバレーの人々の心をつかむことができたと語る。
「シリコンバレーという、世界の最先端の地で、日本のブランドを作るチャレンジとはいかなるものか?」
角野氏の5年間の足跡を、ひとつひとつ、辿っていきたい。
※本連載は毎週水曜日に掲載する予定です